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札幌高等裁判所 昭和42年(う)152号 判決 1967年12月26日

被告人 宮崎篤

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴趣意は、被告人提出の控訴趣意書および弁護人佐藤文彦同広谷陸男同今泉賢治共同提出の控訴趣意補充書(ただし趣意書において主張のない部分を除き。)記載のとおりであるから、これを引用する。

これに対する当裁判所の判断はつぎのとおり。

第一憲法一九条、二一条違反の主張

言うまでもなく本件ビラの表現内容は、記載自体からは演説会開催の告知であり、目的において参集の呼びかけを含むものである。論旨主張のように本件の場合演説会開催とその宣伝広報が分かちがたく一体の政治活動を構成するとしても、いま特定の外部的規制を思想または表現の自由に対する直接間接の介入という側面から評価する場合、それが演説を禁止するというように思想の表現自体を直接対象にする場合と、あるいは演説会という集会の開催に干渉する場合と、さらにその宣伝告知に伴う一定の外部的行動のみを対象にする場合とで、その憲法上許容される範囲が異なつてくるのは当然であろう。

具体的な本件ビラ貼り行為を軽犯罪法違反に問うことは、もとより本来内心の問題である思想内容に直接介入するものではないし、さらに間接的な制約と見るにもあまりに遠いのであつて、憲法一九条違反の主張はおよそ当らない。

また、本件においてビラの「貼布」がそうであるように、表現が手段として外部的、社会的行動を伴う場合には、その表現そのものによるほか特にその外部的行動によつて他の基本的人権との衝突、違和を生ずるおそれもそれだけ多くなるが、その間に合理的調整を図る必要は憲法自体がこれを予定している。軽犯罪法一条三三号の規定は、この意味で外部的行動が他の法益と衝突する場合の調整の仕組みとして十分合理的であり、二一条を含む憲法全体の統一的な理念に反するとは認められない。そして被告人の所為が右条号に違反する以上は、本件において有罪とされたことを目して違憲と言えないことも明らかである。

第二軽犯罪法一条三三号の解釈を誤つたとする主張

軽犯罪法一条三三号にいう「みだりに」の文言が社会的に相当でないことを意味するのは所論のとおりである。特に明記した趣旨は「違法に」という意味を注意的に明らかにするにあると解するのが相当であろう。

ところで、およそ他人の所有する家屋等に無断ではり紙をすることは、それだけでも、自己の所有物を公共の福祉に反しない限り自由な態様で支配維持できる憲法上の自由を侵すことになる。本件について見ると、被告人の行為は所有者日本電信電話公社との契約に基づき、財団法人電気通信共済会が同公社に代価を支払い、本件電柱を広告媒体として排他的に使用しうる権限を侵害するものとさしあたり認められるものであり、所論が本件ビラ貼りによつてなんらの法益侵害も生じないと主張する趣旨ならその失当なこと明白である。にもかかわらず、本件ビラ貼りを実質的に違法でないと認めるべき特段の事情があるかどうか。まず、一枚のビラを電柱に貼つただけだという本件の態様にかんがみ、法益侵害の程度が比較的軽微であることは確かだとしても、これを具体的に三三号違反の罪を成立させるに十分な違法性があるかどうかの見地で考えるためには、そもそも同条号自体が比較的軽微な違法性をこそ予想しているものであることを看過し得ない。また演説会開催を告知しようという目的はそれ自体として適法なこと言うまでもないが、その手段としてとられた「貼布」という外部的行動がそのゆえ当然に、他の法益を侵害してもなお、適法であるとするのは合理的でない。さらにいわゆる法益衡量の点から見れば、一方に侵害された法益について具体的個別的にその程度を云々するのなら(所論が本件についてたかだか一本の電柱に貼られた一枚のビラというとらえ方をするとき、かような見方をしていることになる)、他方これと比較する側もおよそ思想、表現の自由ないし政治活動の自由はと言うような一般的なかたちで論ずるのではなく、勿論その発現ではあつても、同様たかだか一枚の宣伝ビラを無許諾で電柱に貼布すること自体の持つ個別的利益という具体的なとらえ方で対比するのでなければ、いささか的外れになりはしないか。本件で特定のビラ一枚を電柱に貼る貼らないによつて演説会開催の広報効果にどれほどの影響があるかを考えれば、その持つ具体的な利益はさほど大きくない、すくなくとも侵害された法益の程度に比し格段に大きいとまでは見られないというのが相当なところであろう。加えて本件では、同じ広報効果をあげる「貼布」にしても所有者の承諾を得て家屋、塀等を利用する途もあつた訳だし、法益侵害は被告人の側からの一方的なものであつてそれだけ電柱管理者に対し条理上要求し得る忍受の範囲も狭くなる筈である。管理者の被害感情の点にしても、もともと無断でビラ一枚を貼られたぐらいでは「困つたものだ」程度の感情しか持たれなくてむしろ普通であることは、私人がその家屋における場合でも大差はあるまい。電柱のビラにビラを重ねてさほど怪しまなかつた一時期とは異なつて、電柱の事実上の管理もはるかにととのい一般社会における権利義務意識もかなり高まつた現在、無断ビラ貼りに対する一般法感情ないし社会通念がすくなくともこれを正当として是認しているとまでは認めがたいのである。

軽犯罪法四条の趣旨が一条三三号の解釈原理としての意味を持つことを考慮しつつ、以上の諸考察を一体として実質的な違法性の有無を総合判断するのに、本件無断ビラ貼りに三三号の規定が本来予想している程度の軽微な違法性さえも欠けているとはとうてい考えられず、その他特段の違法阻却事由も認められないというに尽きる。

原判決は「みだりに」の意義を本判決と同旨に解し、被告人の所為がこれにあたるとしたものであつて、その間所論の法令解釈の誤りはなく、事実誤認を疑うこともできない。

第三不法に公訴を受理したとの主張

しかし、まず本件の検挙訴追が軽犯罪法四条に反すると認められないことは原判決が法令の適用の項で説示しているとおりである。なお同条の規定は検察官が起訴・不起訴の裁定権を合理的に行使することを制約するものではない。本件について見れば問題のビラは印刷された用紙を用いており、同一の企画に基づいて砂川市内の電柱に無断貼布されたと認められる同種ビラが司法巡査の確認しただけでもほかに一四枚を数えた等、外部に客観的に現われた一連の無断貼布の規模、態様自体において、検察官が起訴か不起訴かを決するのに当然考慮しておかしくない事情のあることを率直に認めなければ公平とは言えまい。本件に公訴権の乱用があるとまでは認めがたい。

第四結び

以上のとおりであつて結局論旨はすべて理由がない(理由の不備もしくはくいちがいの主張が控訴趣意に包含されているとはどう見ても解しがたい。職権で調査しても所論の瑕疵ありとは認められない)。

よつて刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤勝雄 黒川正昭 柴田孝夫)

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